花と風と猫と・・・時々うっぷん

気の赴くままに・・・gdgd日記。

父の風邪から、今に至るまで…

今週のお題「おとうさん」

無駄に長いです…ただの日記

 

私が父親と過ごした時間は、6年とおよそ半年間でした。勉学は苦手だったけれど手先が器用だったそうで、市内の自動車工場に勤めていて、いつもバイクで通っていました。また、いつもタバコを吸っていて、ま-るぼろ?がお気に入りだったようです。車の油とバイクの軽油、それからタバコ臭がまじったのが父の匂いで、けっしていいものではなかったけれど、私は嫌いではありませんでした。

 

私が小学生に上がって、初めての夏休みになった時、父は"風邪"をひき、それまで勤めていた工場を休みがちになりました。やがて、その"風邪"は長引き、父ははじめ市内の病院へと入院、その後市街の大きな病院へ移され、だんだんと眠ってる時間の方が長くなってきました。幼い私は詳しいことをなにも知らされなかったけれど、父は退院して、いつか元気に帰ってくるとばかり思っていました。しかし、そんなことはなく、父は、最終的に、冷たいからだとなって我が家に戻ってきたのです。

 

その後、我が家には大きな仏壇が置かれました。父の大きな写真と一緒に。父がいた時よりも、仏壇生活の方がずっと長いので、私の中の父の記憶は年々薄れていってるかもしれません。街中で、ま-るぼろの匂いや、バイクが通った後の軽油くささを感じると、ふと、懐かしいような気持ちがこみあげてきます。でもそれ以上のことは思い出せないことの方が多くて、いつもそこで終わります。

 

父が亡くなってから、母は三人の子供たちを育てるために大変だったようです。(私は結婚も子を育てることも経験していないので、えらそうはことはいえません。)特に、齢が離れて一番末っ子だった私は、わがままでしたから……。特にあれこれ厳しく言われるようになりました。兄と姉は早くから自立し、母の目は、すべて私に向くようになりました。いいんだか、わるいんだか。父に愚痴っていたことも、すべて私に来ました。母との近すぎる距離感に、頭がどうにかなりそうなときもありました。 

 

もし、父の”風邪”が治っていて、普通に退院して、いまも生きていたら、もうすこし、調和のとれた生活が送れたのだろうか、と時々思います。母も、似たようなことを漏らします...……でも、そんなこと、言っても、キリがないんですけどね(笑)。

 あぁ、でも、もし本当に父が生きていたら、私は今ごろどんな生き方をしていたでしょうか。恐らく、いまのようなノンベンダラリとした生活は許されなかったことでしょう。なめくさきった時期にはこっぴどく叱られたに違いないし、わたしが家を出るタイミングも、もっとずっと早かったかもしれない……父が生きていたら、私は今ごろ、もうすこしマトモなしっかりした大人になっていたかもしれない。多分……(笑)

世の中にはいろんなお父さんがいますが、私は父のことは多分、好きだったと思います。

まーるぼろをふかす父につれられて、近所の公園に遊びに出掛けたのもなんとなく覚えてます。園内で野球をしている少年がのぼせて鼻血を出してしまったとき、父は少年を楽な姿勢にさせ、近くにあったチラシをまるめて少年の血をふき、ケアをしてあげていたこともありました(ディッシュ持ってなかったのかよ (笑))。なんだかんだ、優しい父でした。

できることなら、わたしの10代の時間に、父と過ごせる時間が、もっとずっとあればよかったのになと思います。



久しぶりに書いた日記が、おちもなく、どうしようもなく長くなっちゃった!

ここまで読んでくださった方。どうもありがとうございました

m(__)m