花と風と猫と・・・ほにゃらら

淡々と、あれこれ日記

こどおば高学年

こどおば6年目、久しぶりの日記。誤字脱字が多く、長いです!

 

気づいたら今年も半分以上が終わり、

もうすぐ秋の季節がやってこようとしています。(外はまだまだ暑いけど。)

私は2017年5月に一人暮らしをやめて実家に戻ってきました。それから、はや7年が経過しようとしています。時が経つのは早いもので、メンヘラかまってちゃんアラサーだった私も、気づけば彼氏いない歴●年目、アラフォーこどもべやおばさん6年生になってしまいました。6年生って、小学生に例えたら高学年じゃあねえか。そうか、私はこどおば高学年なのか。

Uターン前夜の日記↓

sefish.hatenadiary.jp

Uターンした理由は、もともと孤独が苦手で一人暮らしに疲れて帰ってきてしまったのがあるのですが、こどおば高学年になると、自分がなぜUターンしてきたのか、理由を忘れてしまいました。人間は自分に都合のいいようにできています。実家が別に私を呼び求めたわけでもないのに、自分の意志で帰ってきただけなのに、いつの間にか忘れてしまっておりました。私がこどおばになった理由は、孤独に苛まれ、極度に疲弊していたからなのだ

 

実家での暮らしは家族がいるのでそこまで自由はないけれども、孤独感はなくなりました。Uターンし、3か月ほどのニート生活を経て、たまたま拾ってもらった大手企業の地方支店で、今はずっと事務職として働いています。一人暮らしの時はあれだけコロコロ変えていた職業も、今や過去の話。今の職場は入社して6年目。お恥ずかしながら、自分の社会人生活の中でこれだけ長く続いた仕事はありません。自分でも驚いております。やってることはパソコンでの書類作成、来客応対、電話、備品管理、営業さんのサポート…などなど、庶務です。田舎支店なので特有の閉塞感はあるし、人事異動も少ないから固定化されたメンバーでナァナァ、最悪なときもあるけれど、大手企業なのでつぶれる心配はないし、やなことがあっても我慢していればナントカ生活できるだけのお金は入ってきます。そんな生活に慣れて、いつかまた都会で働けたら・・・などとないものねだりに再び憧れつつも(私はいつだってDreamer)、田舎支店でも6年生になってしまったのでした…

 

実家での暮らしですが、(私の場合は、ですが)のんびりはしているものの、最高に居心地がよいわけではありません。私が一人暮らしをしていた約10年、実家は年の離れた兄と高齢の母の二人暮らしで、家のなかのシステムは二人を中心に出来上がっておりました(うちは父が他界している)。兄は私が幼いころから母と私を扶養にいれてくれ、長いことブルーカラー系の勤め人として頑張ってきました。口数は少ないものの、生真面目な男です。しかし生真面目すぎるのと若干神経質で、職場での鬱憤を自宅にそのまま持ち帰り、風呂場で湯気に話しかけている。傍から見たらデカい独り言をやっているようにしな見えないので、若干怖い。しかし高齢の母は、長男至上主義で育てられた昭和生まれの人。兄にはとくべつ気を使います。兄が精神病になることを特に恐れている。だから兄が湯気と話しててもそっとするし、私にも「おにいちゃんにお前から挨拶しろよ」とか「お前から積極的に仲良くしろ」などと言います。家の手伝いも…実家に住んでるから家のことをするのは当たり前田のクラッカーなのですが…、兄は休日の日にべつになにもしなくても言われない。

一方の私、細かい小言を母から言われます。生意気な私は口答えするも、「おまえは女なんだから。もっとやれ。おにいちゃんは男だからべつにいいけど」などとリプライ(クソリプ?)がくる。仕方ないのかなと思います。

また母の性格として、呼吸をするように愚痴をこぼすひとなので、兄には言えない小言や神羅万象ありとあらゆる愚痴が私に流れてきます。まるで壊れたラジオのよう!母の性格を分かっているので、元気な時は流せたりする。でも、ずーっと聞きたくないラジオが流れてくるのは時に憂鬱です。母にはポジティブ番組が存在しないらしい。チャンネル変えられないんさ。まいっちんぐ

真ん中に姉がおりますが、彼女は既に結婚し、遠方で家庭を築いております。姉だけは母の愚痴っぽい性格を浴びなかったというか、私からみると自分のことはきちんと自分で決め、人間関係のバランスも上手く、まともです。湯気と話す兄、自立した姉といて、年の離れたこどおば妹、私。なぜこうも違うのだろう…

 

仕事、自宅での生活はそんなかんじですが、唯一よかったのはプライベートでの人間関係。

コミュ障で小中時代は根暗だった私、同級生の友達なんぞほとんど連絡とっていないし、Uターンしても浦島太郎状態でおりました。しかし、ジモティーなどでご近所さんのグループチャットを見つけオフ会などに参加していたら、新しい輪が広がり、地元のお友達もできました。一緒にご飯食べたり、カラオケ行ったり、映画を観に行ったり・・・。これはインターネットの無限の力と、たまたま出会った人がよかったというラッキーフォーチュンが重なったからだと思います。6年もたつと地元のニューフレンズらもそれぞれのライフステージが変わったりしますが、それでも緩くつながりが持てているのは、本当にラッキーフォーチュンだったのだと思います。

 

そんなこんなで、実家にいて孤独感はなくなったし、仕事もなんとか続けられているし、新しい友達もできました。一人暮らしはメンヘラをこじらせ、いつも生きることに必死だったので、あまり周りを見る余裕がなかったと思います。この余裕が一人暮らし時代でもあれば、もっと生活を楽しめることができたのではないかなと思います。

しかしこのまま一生こどおばをするのはどうなんだろう、はたからみて自立していない、イタイ大人なんじゃないかという危機感を持っています。多くを望まなければナントカ生きていける、でも果たしてこのままでいいのか…?

 

最近、都会に嫁いだ親友から「あなたがUターンした理由はなんだった?思い出して」と「私たちは、もうオバサンなんだよ」という何気ない言葉に、ハっと気づかされたのです。あ、私、もう37歳じゃん・・・・。

都会にいるときは田舎のゆったり感にあこがれを抱いていたものの、ゆったり感と田舎の閉鎖的な雰囲気は表裏一体だと実感しています。人間、ないものねだりの我儘ですね

 

今週のお題「苦手だったもの」