川口市で公演された劇団座☆名張少女さんによる舞台演劇「父と暮らせば」を観に行きました。このお話は、井上ひさしによる同名小説を舞台化したものだそう。
お芝居を観るのはとても久しぶりであるが、なかなか泣けるお話だったのと、現代人(including ワタシ)にも通じるものを感じたので、私の拙い文章力で恐縮ではありますが、感想を書いてみようと思います(劇団座☆名張少女様ご了承頂きまして、誠に有難うございます)。以下、ネタバレを含む感想です…↓
続きを読むチャンプルー御朱印張 ②
この日は伊香保の雛祭りを見に行ったイベントの帰りに高崎市の寺にも立ち寄って戴き、御朱印を入手した。
坂東十六番、とも右上に捺印されている。坂東33か所観音霊場の16番め、だって。それ専用の御朱印手帳も販売していたが、それでも、チャンプルー手帳に納めた。
うーんうーん。これはどこだろう?関東108地蔵尊の何番目かで、群馬県なのだが。文字のところが御朱印と重なってて読めない…!
実はこの日、渋川市の新たな名所(?)である台湾仏教の寺 法水寺にも行った。御朱印はたしか千円だったと思う。お財布と相談し購入しなかった…これら↓は、そのときに戴いたしおり。http://housuiji.or.jp/
H31/4/6の御朱印
埼玉県川口市方面へ。時々お会いする御朱印先輩に同行させていただいた。氷川神社といったら私のなかではさいたま市大宮区のイメージが強いが、至るところに氷川神社はあるらしい。
鎮守氷川神社
都内は東側に少しだけ住んでいたが、世田谷区は御朱印収集ので出掛けた。高級住宅街のイメージと思いきや、ボロ市を開催したり(だが決して安くはない品を売買しているように思う)、世田谷線などというとっても愛らしいローカル電車が走ってたりと庶民的な文化が混同しており、なんて素晴らしい街なのだろうと思った。
これはいただきもの↓
御朱印先輩から戴いた、貴重な「刺繍がしてある」デザインの御朱印である。阿佐ヶ谷神明宮。紙は薄いものではなく、こだわりの和紙を使用。張るのではなく、額にいれて飾っても良かったかもね。貴重。
R2年正月某日
この日は長年やろうと思っていた「七福神巡り」に初挑戦した。場所は西新井。七福神巡りなのだから七福神すべての御朱印を集めることに意義があるが、お財布事情を心配した私は、スタンプと布袋さんだけ頂いた。一番面白かったのは打ち上げのファミレスで、霊能力のある方(と仰っていた)からリアル怖い話を聞いたことである。新年早々稲川淳二ワールドかい!でもやっぱりちょっと怖かった(^^;)
それからはコロナ禍でしばらく遠出は出来なかった。
R2/11/14の御朱印
正月からかなり久しぶりの御朱印収集。先輩らの旅に同行させていただいた。鎌倉。コロナ感染者が少なくなり(?)、一時落ち着いた頃と思われるが、小町通や駅前は今でいう密な状態であった。 勿論マスクをしてソーシャルディスタンスを心掛けウォーキング。鎌倉駅スタートで神社を巡り、最後は北鎌倉でゴール。
当時の写真がまだ残っていたよ。建長寺↓
この見晴台に行くまでの道のりが遠かったンダヨ…!
円覚寺の写真↓
猫がいた
私のチャンプルー御朱印張 二冊目は以上である。最近久しぶりに某所を参拝したので、また近々挙げる予定ではある。こうして振り返ると、実に色んな場所を参拝したのだと分かるが私はその時々の風景や食べ物を楽しんでいて、歴史や仏教については無知であるということである…。でもまあ、楽しければそれで良いかなという感じ。私は悩める時は悩める人間だが、ソレから離れている時はその場主義で単純明快、あまり深く考えず色気よりも食い気な人なのかもしれない。普段からこう、単純明快ポジティブでいれたら良いのになと自分にたいして思う。
また御朱印収集では色んな人と出合うが、楽しみかたは人それぞれで、その度に新たな発見があって面白いです。
いじょ
御朱印を眺める、長い日記。
■チャンプルー御朱印張二冊目とは?
わたくし id:sefish がプライベートで集めた御朱印をゴチャマゼに集めた手帳 二冊目のことである。ゴチャマゼだから、チャンプルー(神社、仏教、宗派なども全てゴチャマゼ)。この日記のタイトルをつけるにあたり、私が勝手に命名した。二冊目なのは、チャンプルーの一冊目が存在するからです。おいおい一冊目から振り返るのがフツーだろと外野から突っ込みが来るかもしれないが気にしない。最近久しぶりに二冊目を使う機会があったからだ。一冊目は部屋の奥に収納しているので機会があればご紹介する予定。予定は未定…。
■御朱印を集めるキッカケ
きっかけは社会人散歩サークルやイベントにて、御朱印を頂いてる人がいたのをみたのが始まりであった。ビジュアルのかっこよさ、ここに来訪としたという証がほしくて…私の楽しみ方はとってもライトな感じ。少しずつ集めてきたよ。ただ私は見た目から入るミーハーな性格なだけであって、ガチ勢ではないし、歴女でも仏教マニアでもない。私のブログに歴史的教養を求めてこられた文化人や高等遊民がいらしたら残念ながらここはご期待には沿えないので、申し訳ないです。
■前置きはいいから、早く、みせなさいよ
アッメンゴメンゴ。長い前置きは置いといて、以下チャンプルー御朱印張 二冊目の中身です。オモテ、ウラ両方使ってます。両面使ってはいけない決まりはなく、御朱印ガチ勢先輩らもそのように使ってるのを見たので、私もそのようにしました。日付は御朱印を戴いた日。
H30/4/7の御朱印
確かこの日は群馬県館林市で降りて、邑楽郡を攻めていった。御朱印イベントである。道路案内図で「このまま直進すると茨城県古河市」を見て、固まる。Tochigi is between Gunma and Ibarakiじゃねんかい。ここで初めて、群馬県は「実は茨城県とも県境」であるという事実を知り、超驚愕!(実は、地図をよ~く見ると、したのほうが繋がっているらしい)。ランチは館林市で「鯰の天ぷら」を初めて食べたがめちゃさくさくで美味しかった思い出。
H30/9/30の御朱印
4月の群馬から実に半年が経過。私は千葉県姉ケ崎市へ向かった。埼玉県北部から電車で3時間以上。千葉県北西の都市部は昔住んでいたがそこからも結構な距離がある。一宮に行けると聞きやってきたが、途中小雨も降ったりしてすこし大変だったと記憶している。また御朱印ガチ先輩の方も多く、寺ならば宗派ごとに御朱印張を分けるのは勿論のこと、神社は一宮なら一宮で分けるといった方もいらして、チャンプルーな私は驚愕した。
一宮玉前神社を参拝後、解散。
私は棒切れのようになった足で、なんとか最寄りの上総一宮駅に着くと駅ホームのベンチでうなだれた。9月とはいえまだ気温も暑く、また普段歩きなれてないのに長時間でとても疲れたからだ…。今ならば、一泊して上総一宮に挑んでいたと思う。
目の前には「B.B.Base」と書かれた電車を見かけた。なかにロードバイクがあるではないか。素晴らしいな。後に、これが海沿いを走るロードバイク愛好家のための特別列車であることを知った。
H31/2/14の御朱印
バレンタインに御朱印集めに行ったのかよ私!日付のことは全く記憶にございません…。
この時は何かのイベントシーズン用の限定御朱印を戴きに、埼玉県鴻巣市へ(あれ?なんのイベントシーズン?雛祭り?いや、2月だし…ほんとに覚えてない)。鴻巣市といえば埼玉県民にとっては運転免許センターと、かの有名な「ウルトラ教室」しか知らないのだが、鴻巣市は限定御朱印なんてイキなことをやってるんだと新鮮に感じた。しかしお財布事情を気にした私は、ところどころで限定とそうでない御朱印を買った。ブログに載せるなら限定のほうが見映えがいいに決まってるけどさ、まあ~500円越えたら考えちゃう人です…
長いので第二章へつづく…。
ごめんなさい、ちょっと悪口かもしれない。
長年疑問に思っていた。
朝出社して電子レンジや電気ポットの周辺を拭き掃除する広末センパイ(仮名)は、なぜか電気ポットには水を容れない。毎朝毎朝、いつもそう。なぜだろう。
✳️広末先輩とは?↓
https://sefish.hatenadiary.jp/entry/2020/10/22/201425
こんにちは。とっても久しぶりの日記です。
最近何を書いたか覗いたら、去年秋に書いた「宝石の国」であった。それからおよそ半年後、ネタになるような憂鬱なことがなかったかといえばウソになるが(この日記はほぼ私の憂さ晴らし用チラシの裏的オアシスなのです)、ジムでの筋トレやら他のことでストレス発散していたので、特別文章に書き起こす必要もありませんでした…。
でも、気づいたらこのブログ、今年で9周年なんですよね。10周年だとなんかごろがいいんですけど、9周年って中途半端なところも、また私らしいわね。飽き性な私が、よくこんな続いたものだ。
当初は、社会人になってからやり始めた英語勉強用のブログでした(今遡ったらそうだった)。duoで単語暗記とか、よくやってたと思うわ…(今の仕事では英語なんて全く使ってない。)
この9年、働いたり辞めたり恋したり別れたり太ったり痩せたり、意識高い系になったと思ったら急降下でだらけたり、その他諸々悩んだり悩んだり悩んだり…と色々と忙しい9年でした。死にたくなるような気持ちの時も、ネガティブな私の事だから何度もあったことと思います。でも、意外とその後はなんでもなく、今も元気に生きてます。歳もとり、神経も多少は図太くなったのかしら。
これからも自由に更新してく私と私のブログ。
ゆったりやっていきます。
よろしくお願いいたします